給食の鯨の竜田揚げはいつまで出た?消えた理由と現在の提供事情
昭和世代にとって、ノスタルジーをかき立てる学校給食の代表格といえば「鯨の竜田揚げ」です。独特の香ばしい風味としっかりとした噛みごたえ、真っ黒な衣をまとったあの味は、多くの人々の記憶に深く刻まれています。しかし、ある時期を境に学校給食の現場から忽然と姿を消し、平成以降に生まれた世代には「一度も食べたことがない幻のメニュー」となりました。
給食の鯨肉は一体いつまで提供され、なぜ全国の配膳台から消滅してしまったのでしょうか。本稿では、当時の給食事情や国際捕鯨規制の歴史的背景を紐解きながら、世代別の境界線や、食育の一環として一部地域で進む現代の提供状況までを徹底取材・解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:全国的な提供終了時期:鯨肉が日常的に給食へ出ていたのは昭和62年(1987年)頃までであり、主に1970年代半ば(昭和50年頃)以前に生まれた世代が日常的に口にしていた。
- 要点2:メニューから消えた真相:戦後の貴重な高タンパク・低価格食材だったが、IWC(国際捕鯨委員会)による商業捕鯨モラトリアム採択と商業捕鯨の中断により、原料価格が高騰したことが主因。
- 要点3:現在の提供と食文化の継承:伝統的な捕鯨の歴史を持つ和歌山県太地町や山口県下関市などを皮切りに、近年は食育や伝統食の継承を目的に年数回の限定給食として復活している地域も存在する。
【世代別の境界線】給食の鯨肉はいつからいつまで提供されていたのか
学校給食の現場に鯨肉が導入されたのは、終戦直後の昭和20年代前半(1946年〜)のことでした。戦後の深刻な食糧難と栄養不足を補うため、安価で栄養価の高いタンパク源として脱脂粉乳とともに配給されたのが始まりです。昭和30年代から昭和40年代にかけて給食の鯨肉消費はピークを迎え、肉類メニューの過半数を鯨肉が占める時代が長く続きました。
全国の小中学校で鯨の竜田揚げが定期的な定番献立として姿を消したのは、概ね昭和62年(1987年)度末です。昭和50年代に入ると国際世論の逆風や漁獲枠の縮小に伴って供給量が減少し、豚肉や鶏肉へのシフトが進んでいましたが、1987年の商業捕鯨一時停止が決定打となりました。
生年月日で分類すると、明確なジェネレーションギャップが存在します。
・昭和40年代(1965〜1974年)以前生まれ:月1〜2回以上の高頻度で鯨の竜田揚げを食べて育った「直撃世代」。
・昭和50年代前半(1975〜1979年)生まれ:小学校低学年の頃にかろうじて年に数回提供され、高学年になるにつれて姿を消していった「過渡期世代」。
・昭和60年代・平成以降(1985年〜)生まれ:特別な地域を除き、通常の学校給食で鯨肉を食べた経験がほぼない「未経験世代」。
学校給食から鯨肉が消えた最大の理由|商業捕鯨モラトリアムと国際情勢
給食メニューから鯨の竜田揚げが消えた直接の引き金は、IWC(国際捕鯨委員会)による商業捕鯨モラトリアム(一時停止)の決定にあります。1982年、反捕鯨国を中心とする国際的な圧力により、商業捕鯨の一時停止が決議されました。日本政府は異議申し立てを行っていたものの、最終的に1986年(南氷洋捕鯨)および1987年(沿岸捕鯨)に商業捕鯨の中断へ追い込まれます。
商業捕鯨の中断後、日本は一般財団法人日本鯨類研究所を中心とした調査捕鯨(科学的知見収集のための捕鯨)へ舵を切りました。調査捕鯨の副産物として一定量の鯨肉が国内市場に流通したものの、かつてのように学校給食へ安価かつ大量に安定供給することは事実上不可能となりました。
食材の仕入れ予算が厳しく制限されている学校給食の現場において、価格が高騰した鯨肉を使い続けることは難しく、鶏肉・豚肉・輸入牛肉への切り替えが急速に進行したという経済的側面が、食卓から姿を消した実情です。
昭和の学校給食を彩った定番メニュー|竜田揚げと「鯨のオーロラ煮」の記憶
昭和40年代から50年代の学校給食事情において、鯨肉はバラエティ豊かな調理法で子どもたちの舌を楽しませていました。最も知名度が高いのは生姜醤油で下味をつけ片栗粉をまぶして揚げた「鯨の竜田揚げ」ですが、地域や年代によっては別の人気メニューも存在しました。
その代表格が「鯨のオーロラ煮」です。揚げた鯨肉に、ケチャップ、中濃ソース、砂糖、酒などを合わせた甘酸っぱく濃厚なタレを絡めた料理で、鯨特有のクセを和らげつつご飯やコッペパンが進む味付けとして絶大な人気を誇りました。冷めると固くなりやすい鯨肉を、タレでしっとりコーティングすることで食べやすくする給食調理現場の知恵でもありました。
ほかにも、甘辛く煮付けた大和煮風の煮物や、野菜と一緒に煮込んだ鯨汁、カレーライスの具材としても活用され、昭和の子どもたちの成長を支える基礎体力づくりの要となっていました。
【現在も食べられる?】食育推進で進むクジラ給食の復活と提供地域
一度は全国の給食から完全に消えたかに見えた鯨肉ですが、2000年代以降、「食育」や「伝統的な食文化の継承」を旗印に、限定的な復活を果たす自治体が増加しています。
特に古くから捕鯨文化が根付く地域では、地元の歴史を学ぶ授業と連動した積極的な提供が行われています。古式捕鯨発祥の地として知られる和歌山県太地町や、近代捕鯨の基地として栄えた山口県下関市、捕鯨船の母港であった宮城県石巻市(旧牡鹿町)、さらには長崎県などでは、年に数回から毎月のように鯨の竜田揚げや鯨肉の和え物が給食に登場します。
2019年に日本がIWCを脱退し、領海および排他的経済水域(EEZ)内での商業捕鯨を約31年ぶりに再開して以降は、東京都内や千葉県などの都市部においても、年1回の「郷土料理・食文化体験デー」として鯨の竜田揚げをスポット提供する小中学校が増加傾向にあります。現在の児童にとっては、「昔懐かしい味」ではなく「初めて体験する珍しいごちそう」として親しまれています。
家庭で懐かしの味を再現!ジューシーに仕上げる鯨肉レシピのコツ
「あの懐かしい鯨の竜田揚げをもう一度食べたい」という声は根強く、現在では通信販売や一部の鮮魚専門店、大手スーパーの冷凍コーナー等で鯨肉(赤身)を手軽に入手できるようになっています。家庭で固くならず、臭みのないジューシーな竜田揚げに仕上げる調理のポイントを整理しました。
【ジューシーに揚げる下処理と味付けの極意】
・ドリップを徹底的に拭き取る:解凍時に出るドリップ(赤い水分)は臭みの元となるため、キッチンペーパーで入念に拭き取ります。
・下味の黄金比:醤油大さじ2、酒大さじ1、すりおろし生姜・にんにく各1片、みりん小さじ1を合わせたタレに、一口大に薄くそぎ切りした鯨赤身肉を15〜20分ほど漬け込みます。漬け込みすぎると肉が締まりすぎて固くなるため注意が必要です。
・片栗粉を直前にまぶして高温でサッと揚げる:揚げる直前に片栗粉をまぶし、180度の高温に熱した油で1分〜1分半程度の短時間で一気に揚げます。余熱で火を通す感覚で引き上げると、外はカリッと香ばしく、中はしっとりとした柔らかさに仕上がります。
【給食 鯨の竜田揚げ いつまで】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:給食で日常的に鯨の竜田揚げを食べていた世代は現在何歳くらいですか?
A1:定期的な定番献立として頻繁に口にしていたのは、昭和40年代(1960年代後半〜1970年代前半)以前に生まれた、現在おおよそ50代半ば以上の世代です。昭和50年代生まれの40代後半層は「子どもの頃に数回食べた記憶がある」という境界線上に位置します。
Q2:なぜ昔の給食の鯨肉は「黒くて固かった」と言われるのですか?
A2:当時は現代ほど冷凍・解凍技術や低温調理技術が発達していなかったこと、また大量調理の衛生基準から中まで完全に火を通す必要があったためです。さらに、ヘモグロビンやミオグロビンなどの鉄分が非常に豊富な赤身肉であるため、加熱すると黒褐色に変色しやすいという肉質本来の特徴も影響しています。
Q3:現在、学校給食以外で鯨の竜田揚げを食べるにはどこに行けばいいですか?
A3:居酒屋や郷土料理店、浅草などの下町エリアにある老舗鯨料理専門店のほか、捕鯨拠点のある下関や太地町周辺の飲食店・道の駅で広く提供されています。また、鯨肉の赤身は通販サイト等でも購入できるため、自宅で再現調理することも容易です。
まとめ:昭和のソウルフードから次世代へつなぐ食文化へ
昭和の給食における鯨の竜田揚げは、戦後の日本を栄養面で支えた欠かせないソウルフードでした。昭和62年の商業捕鯨モラトリアムによって多くの配膳台から姿を消したものの、その食文化自体が途絶えたわけではありません。
日本の商業捕鯨再開や食育プログラムの進展により、今や鯨肉は「貧しい時代の代用肉」から「日本の海洋環境と歴史を学ぶ特別な食材」へと位置づけを変えつつあります。親や祖父母の世代が味わった懐かしの味は、時代を超えて現代の子どもたちへと大切に受け継がれています。 (出典: 給食 鯨の竜田揚げ いつまで(Yahoo!ニュース))