久保建英の中学校はどこ?バルサ退団の真相と伝説の中学時代を追跡
スペイン1部ラ・リーガのレアル・ソシエダで絶対的な攻撃の主軸として君臨し、日本代表でも世界を驚かせるプレーを披露し続ける久保建英選手。幼少期から「日本の至宝」と称賛されてきた彼ですが、その輝かしいキャリアの中で最大の転換期となったのが、スペインから突如として日本へ帰国することになった中学時代です。
ファンの間では「久保建英選手はどこの中学校に通っていたのか?」「なぜ世界屈指の名門FCバルセロナを退団せざるを得なかったのか?」といった疑問が今なお語り継がれています。世界の頂点を目指す天才が駆け抜けた激動の中学時代、その学校生活のリアルから前代未聞のJリーグ記録樹立の舞台裏までを余すところなく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 通学先の中学校:地元である神奈川県の川崎市立西生田中学校に通い、ごく普通の学校生活を送りながらクラブチームで技術を磨いた。
- バルサ退団の理由:実力不足ではなく、FIFA(国際サッカー連盟)が課した「18歳未満の国際移籍規制」の制裁によって公式戦出場を禁じられたため。
- 中学時代の偉業:FC東京の下部組織で異例の飛び級を重ね、中学3年生(15歳5ヶ月1日)にしてJリーグ最年少出場記録を樹立した。
【判明】久保建英の出身中学校はどこ?地元・川崎市立西生田中学校での素顔
世界的な注目を浴びていた久保建英選手が進学した中学校は、地元・神奈川県川崎市麻生区にある公立校川崎市立西生田中学校です。私立の一貫校やスポーツ強豪校ではなく、地元の一般的な公立中学校へ進路を選びました。
バルセロナの下部組織「ラ・マシア」で背番号10を背負っていた世界レベルの超有望株が地域の公立校に通うとあって、入学当初は校内外で大きな話題を集めました。しかし、本人は過度に着飾ることなく、同級生たちと机を並べて自然体で学校生活を満喫していたと伝えられています。中学校の部活動(サッカー部)には所属せず、放課後はクラブチームの練習拠点へ通う日々を送っていましたが、体育祭や学校行事にも真摯に参加するなど、ごく普通の男子中学生としての青春も大切にしていました。
当時からスペイン語を流暢に操るなど知性も際立っており、過酷な移動や練習をこなしながらもしっかりと学業を両立させていたエピソードは、現在の高い戦術理解度や自己分析力の基盤となっています。
なぜ日本へ?バルセロナ退団・電撃帰国を強いられた「FIFA制裁」の真相
久保建英選手を語る上で避けて通れないのが、2015年春に起きた「バルセロナ退団・電撃帰国」の出来事です。当時、カンテラ(育成組織)のインファンティルAで目覚ましい活躍を見せ、将来のトップチーム昇格を嘱望されていた彼が、なぜ日本へ戻らなければならなかったのでしょうか。
その真相は、本人の実力不足や家庭の事情ではなく、FIFA(国際サッカー連盟)による18歳未満の国際移籍条項(移籍条項第19条)違反に対する制裁措置にありました。青少年の人身売買防止や健全な育成を目的としたルールですが、バルセロナの選手獲得プロセスに違反があったと判定され、久保選手を含む複数の未成年外国人選手が公式戦への出場を一切禁じられるという極めて重い処分が下されたのです。
約1年半にわたり公式戦のピッチに立てず、親善試合にしか出られない理不尽な状況が続くなか、13歳の久保選手は「実戦から離れて成長を止めるわけにはいかない」と断腸の思いで帰国を決断。世界最高峰の育成環境から突如として日本へ引き戻される形となりましたが、この逆境こそが彼のメンタリティをさらに強固なものへと鍛え上げることになりました。
FC東京U-15むさし時代と驚異の飛び級伝説|中学3年でJリーグ最年少デビュー
帰国した久保建英選手が新たな育成の場として選んだのが、FC東京U-15むさしでした。ここから、日本サッカー界の歴史を塗り替える伝説的な「飛び級ロード」が幕を開けます。
中学2年生の時点で同世代の枠を遥かに超えるスキルと戦術眼を見せつけると、すぐさまカテゴリーを飛び越えて高校生年代であるFC東京U-18へと昇格。フィジカルで勝る高校生を相手にしても、卓越したボールコントロールと判断スピードで圧倒的な存在感を放ちました。日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会では、大会史上初となる中学生での得点王を獲得するという離れ業を成し遂げています。
そして2016年11月5日、歴史的な瞬間が訪れます。中学3年生にしてトップチームに2種登録されていた久保選手は、J3リーグ第28節(AC長野パルセイロ戦)の後半開始からピッチに投入され、15歳5ヶ月1日というJリーグ最年少出場記録を樹立。プロの屈強な大人たちを華麗にかわす姿は全国ニュースで大々的に報じられ、日本中にその名を轟かせました。
幼少期から現在までの学歴と経歴一覧|小学校から高校進学、レアル・ソシエダまで
中学時代のみならず、久保建英選手が辿ってきた学歴とフットボールキャリアはまさに唯一無二の軌跡です。
地元川崎の「さぎぬまSC」でボールを蹴り始めると、川崎フロンターレU-10を経て小学4年生の夏にバルセロナの入団テスト(セレクション)に合格。世界各国から集まるエリートの中で頭角を現しました。中学卒業後は、サッカーに専念できる柔軟なカリキュラムを持つ通信制の第一学院高等学校へ進学。学業と並行してFC東京のトップチームで主力へと定着し、18歳を迎えた2019年夏にレアル・マドリードへの完全移籍を果たしました。
その後、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェでの武者修行を経て、完全移籍したレアル・ソシエダで才能が完全に開花。ラ・リーガ屈指のアタッカーとして世界的な名声を確立しています。
家族構成と父親の教育方針|「天才」を育てた実家のバックボーン
久保建英選手の驚異的な成長を語る上で欠かせないのが、温かくも綿密に設計された家族のバックアップです。実家の家族構成は、父親、母親、建英選手、そして弟の4人家族です。
父親の久保建史(たけし)さんは、かつて自身もサッカー経験者であり、建英選手の幼少期には独自の哲学を持って接していました。「幼少期にはテレビを見せず絵本の読み聞かせを徹底する」「外遊びでは裸足でボールを蹴らせて足裏の感覚を磨く」といった自主性と感覚を重んじる教育論は、書籍化されるほど大きな反響を呼びました。
また、スペインへ渡る際には母親と弟が現地へ同行して生活面を支え、中学時代の帰国という難しい局面でも家族が一丸となって建英選手のメンタルを支え続けました。なお、弟の久保瑛史(えいじ)選手も兄の背中を追う実力派フットボーラーとして知られ、レアル・ソシエダの下部組織に加入するなど注目を集めています。
【久保建英の中学時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:久保建英選手は中学校の部活動(サッカー部)に所属していましたか?
A1:いいえ、中学校のサッカー部には所属していませんでした。公立の川崎市立西生田中学校に通いながら、FC東京のアカデミー(U-15むさし、U-18)でプレーしていました。
Q2:バルセロナから帰国したとき、本人の実力不足が理由だったのでしょうか?
A2:実力不足では一切ありません。FIFAの未成年移籍規律にバルセロナ側が抵触したことで公式戦への出場停止処分を受けたため、実戦経験を積むために苦渋の決断として帰国を選びました。
Q3:中学卒業後の高校はどこに進学しましたか?
A3:多くのプロアスリートを輩出している通信制の第一学院高等学校に進学しました。学業とプロサッカー選手としての活動を高次元で両立させ、在学中にレアル・マドリードへの移籍を果たしています。
まとめ:中学時代の挫折と挑戦が現在の世界的エース・久保建英を創り上げた
久保建英選手の中学時代は、バルセロナ退団という理不尽なアクシデントから始まりながらも、自らの足で運命を切り拓いた激動の3年間でした。川崎市立西生田中学校での日常を大切にしつつ、FC東京の下部組織で誰よりもストイックにボールを追い続けた日々が、Jリーグ最年少出場という金字塔を生み出しました。
どんな逆境に立たされても腐らず、常に前を向いて自らをアップデートし続ける姿勢こそが、彼が世界最高峰の舞台で輝き続ける最大の理由です。中学時代に培った強靭なメンタリティと卓越した技術を武器に、さらなる高みへと駆け上がる久保建英選手の挑戦から今後も目が離せません。 (出典: 久保 建英 中学(Yahoo!ニュース))