若島津の部屋はどうなった?放駒部屋への改称と稀勢の里継承の真相
かつて「南海の黒豹」と称され、昭和の大相撲を沸かせた元大関・若島津。名門・二所ノ関部屋の師匠として多くの力士を育成し、元人気歌手の高田みづえ夫人と共に温かな部屋を築いてきた彼ですが、2022年1月の定年退職を機に相撲界の勢力図は大きく塗り替えられました。
「若島津が率いたあの部屋は今どうなっているのか」「なぜ元横綱・稀勢の里が二所ノ関を名乗っているのか」と疑問を持つ相撲ファンは少なくありません。激動の部屋継承劇、放駒部屋への改称の経緯、そして大病を乗り越えた若島津とみづえ夫人の現在に至るまで、知られざる舞台裏を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:若島津が率いた旧二所ノ関部屋は、部屋付き親方だった元関脇・玉乃島が「放駒」を襲名して部屋を継承し、現在は放駒部屋として活動している。
- 要点2:伝統の「二所ノ関」の年寄名跡は元横綱・稀勢の里へ譲渡され、稀勢の里は茨城県阿見町に最新鋭の施設を備えた新たな二所ノ関部屋を創設した。
- 要点3:若島津は病気療養を経て65歳で定年退職。現在は妻・高田みづえさんの献身的な支えのもと、穏やかなセカンドライフを送っている。
【真相】若島津の部屋はどうなった?「放駒部屋」改称と名跡継承の全貌
結論から明かすと、元大関若島津(日高六男氏)が師匠として率いていた旧二所ノ関部屋の「建物・所属力士・裏方(行司・呼出・床山)」をそのまま引き継いだのは、元関脇玉乃島の放駒親方です。
2021年12月、若島津の定年直前に行われた名跡交換と部屋継承に伴い、部屋の名称は「二所ノ関部屋」から「放駒部屋」へと改称されました。つまり、若島津の育てた弟子たちや道場そのものは、現在も放駒部屋として東京都足立区を拠点に息づいています。
では、なぜ大名跡である「二所ノ関」が別の場所にあるのでしょうか。ここには、相撲界の伝統的な名跡継承と、一門の未来を見据えた周到な世代交代のドラマが存在していました。
松ヶ根部屋から二所ノ関部屋へ|若島津が築いた激動の師匠人生
若島津の師匠としての歩みは、1990年2月に旧二所ノ関部屋から分家独立し、千葉県船橋市に松ヶ根部屋を立ち上げたことから始まりました。妻のみづえさんと二人三脚で若い弟子たちを我が子のように育て上げ、松鳳山をはじめとする個性派力士を幕内へと送り出します。
2014年12月、名門・二所ノ関部屋の本家が師匠の定年によって閉鎖の危機に瀕した際、一門の重鎮であった若島津が名跡を買い取り、部屋名を「二所ノ関部屋」へと改称。これによって、松ヶ根部屋の系譜が名実ともに二所ノ関一門の総本山へと昇格しました。
しかし、栄光の道は平坦ではありませんでした。2017年10月、若島津を突如襲ったのが急性硬膜下血腫という大病です。命の危機を乗り越えて奇跡的な回復を見せたものの、以前のように本場所の土俵下で審判を務めたり、稽古場で激しい指導を行ったりすることは難しくなっていきました。
なぜ稀勢の里へ?「二所ノ関」名跡譲渡と茨城県阿見町での新設
若島津が65歳の定年を迎えるにあたり、最大の焦点となったのが一門の象徴である「二所ノ関」の継承問題でした。そこで白羽の矢が立ったのが、当時「荒磯」を名乗っていた元横綱・稀勢の里です。
二所ノ関一門の期待を一身に背負う若手指導者として、稀勢の里に大名跡を継がせることが一門全体の将来的な発展につながるという判断が下されました。これにより、以下の「名跡トレード」が成立します。
- 元横綱・稀勢の里(荒磯) ➡ 第13代・二所ノ関を襲名
- 元関脇・玉乃島(当時・荒磯を一時襲名) ➡ 第18代・放駒を襲名
- 元大関・若島津(二所ノ関) ➡ 荒磯を襲名(定年退職までの一時的措置)
名跡を譲り受けた元稀勢の里は、2022年6月に茨城県稲敷郡阿見町へ巨大な相撲部屋を新設。二所ノ関部屋の看板を掲げ、大の里をはじめとする強力な力士を次々と角界のトップへと押し上げています。
元関脇玉乃島が継いだ「放駒部屋」の現在と旧部屋の系譜
看板は「二所ノ関」から「放駒」へと変わったものの、若島津が手塩にかけて育てた力士たちの魂は元関脇玉乃島へと受け継がれました。放駒親方は現役時代、激しい突き押し相撲で鳴らした実力者であり、誠実な人柄でも知られています。
若島津が倒れた後、部屋の実質的な稽古指導を一手に引き受けていたのが玉乃島でした。そのため、弟子たちにとっても師匠交代のプロセスは極めて自然であり、混乱なく新体制へと移行することができました。
現在、放駒部屋には松鳳山引退後も若手力士たちが所属し、下町情緒あふれる足立区の稽古場で日々汗を流しています。若島津とみづえ夫人が作り上げた「アットホームで礼儀正しい部屋の空気」は、今もしっかりと後進に継承されています。
病魔を乗り越えて|若島津の定年退職と高田みづえ夫人の献身愛
若島津は2022年1月11日、日本相撲協会が導入している再雇用制度を利用することなく、65歳の誕生日を機に定年退職を選びました。背景には、病気療養を優先し、しっかりと後進に道を譲るという潔い決断がありました。
生死の境をさまよった2017年の事故から彼を救い出したのは、紛れもなく妻・高田みづえさんの献身的な介護です。救急搬送された直後から不眠不休で付き添い、意識を取り戻した後の過酷なリハビリも二人三脚で歩み続けました。
「おかみさん」として数十人もの弟子たちの食事や生活を切り盛りしながら、夫の介護をも完璧にこなしたみづえさんの強さは、相撲関係者やファンから今なお深い尊敬を集めています。
【2026年最新】若島津(日高六男氏)と高田みづえ夫妻の穏やかな近況
角界を退いた若島津は現在、千葉県内の自宅でみづえさんと共に穏やかなセカンドライフを満喫しています。後遺症を心配する声もありましたが、日々の地道なリハビリの甲斐あって、日常生活を問題なく過ごせるまでに回復しています。
時にはテレビの特集番組やトーク番組に夫婦揃って元気な姿を見せることもあり、仲睦まじい様子はお茶の間を和ませています。長男で元俳優の勝信さんや、長女でタレントのアイリさんら家族の温かい支えも、夫妻の大きな活力となっているようです。
本場所が始まれば、かつての弟子たちが所属する放駒部屋の取組や、看板を継いだ二所ノ関部屋の活躍をテレビの前で静かに見守るのが日課となっています。師匠としての重責から解放され、相撲を心から愛する一ファンとして楽しむ日々が続いています。
【若島津の部屋はどうなった?】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:若島津が育てていた力士たちはどこへ行ったのですか?
A1:弟子たち全員がそのまま「放駒部屋(師匠:元関脇・玉乃島)」へ移籍・改称という形で所属しています。部屋の場所やスタッフ陣もそのまま引き継がれたため、力士たちがバラバラに移籍したわけではありません。
Q2:なぜ茨城の二所ノ関部屋と東京の放駒部屋で分かれているのですか?
A2:年寄名跡「二所ノ関」は元横綱・稀勢の里が継ぎ、茨城県阿見町に新設オープンしました。一方で、若島津の部屋の施設や弟子たちは元関脇・玉乃島が「放駒」として継承したため、名跡と実質的な部屋の母体が別々の道を歩む形となりました。
Q3:若島津(日高六男さん)は現在相撲協会に残っていますか?
A3:残っていません。多くの親方が選択する「再雇用制度(70歳までの嘱託勤務)」は利用せず、2022年1月の満65歳の誕生日をもって完全に相撲協会を定年退職しています。
まとめ:名門の系譜が紡いだ新たな相撲界の未来図
元大関若島津が率いた旧二所ノ関部屋は、元関脇玉乃島の「放駒部屋」へと名前を変えてその息吹を残し、看板である「二所ノ関」の名跡は元横綱稀勢の里へと引き継がれて新たな黄金期を築いています。
一見すると複雑に見える部屋の行方ですが、そこには若島津の病気という苦難を乗り越え、弟子たちの受け皿と一門の未来を守り抜くための関係者全員の英断がありました。
土俵を去った若島津と高田みづえ夫妻が築いた温かな絆は、今も形を変えて角界の若手力士たちの中に確かに息づいています。 (出典: 若島津 の部屋は どう なった(Yahoo!ニュース))